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本資料は,物が円形をえがくように一方にめぐり巻くさま=巴(ともえ)を連想して名付けられた銅製品である。この特異な形状は,南の海に生息する巻貝の形を銅器で模倣(もほう)したことによるものとする説がある。
巴形銅器は,弥生時代後期から確認される日本特有の銅器である。盾や矢入れ具(やいれぐ)の近くから出土していることから,これらの表面を装飾するためのものと考えられている。古墳時代になると一時的に廃れるが,古墳時代前期末~中期前半頃になると古墳の副葬品として多く出土するようになる。大型古墳から出土する点が特徴であり,一部は朝鮮半島東南部の王墓へも運ばれている。
藤井寺陵墓参考地からは,巴形銅器が10点出土している(左上の個体は直径6.7センチ)。現状では,これは日本で最多の出土数である。
(陵墓課)
宮穴横穴墓群(熊本県熊本市)から明治期に出土した玉類である。
上段は勾玉で,1列目左から硬玉(翡翠(ひすい))製3点,滑石(かっせき)製1点,硬玉(翡翠)製1点,2列目は瑪瑙(めのう)製6点である。下段左側はガラス製の玉で,丸玉が7点に,左下が連珠玉1点である。下段右側は,左からガラス製棗玉1点,碧玉(へきぎょく)製管玉1点,碧玉製平玉2点,瑪瑙製丸玉1点である。
連珠玉は複数の丸玉を連ねた形状のものを,棗玉は樽のように胴が膨らんだ形状のものを,平玉は扁平(へんぺい)な形状のものを,それぞれそう呼び習わしている。
古墳時代後期の玉は,形や材質の種類が増えることが知られており,本資料の多様な玉からもそうした状況を窺うことができる。
横穴墓とは,斜面や崖面に横方向の穴を掘って埋葬施設とする墓制で,古墳時代後期以降に見られる。単独で造られることはなく,狭い範囲に多数が集中して造られることが特徴である。
(陵墓課)
帯鉤とは,ベルトのバックルに相当する部品である。馬形の帯鉤は朝鮮半島で多数見つかっており,本資料も,朝鮮半島で造られたものが持ち込まれ,副葬されたものと考えられる。
馬形帯鉤のモチーフは,中国北方の騎馬遊牧民(きばゆうぼくみん)にみられるもので,騎馬文化とともに朝鮮半島にもたらされたものと考えられている。
日本での確実な出土例はほとんどなく,本資料以外には,長野県長野市の浅川端遺跡(あさかわばたいせき)出土品があるだけである。
本資料は明治45年に榊山古墳から出土したとされるが,同時期に近接する千足古墳(せんぞくこふん)からも遺物が出土し,両方の出土品がまとめて取り扱われてしまったため,厳密にはどちらの古墳から出土したものなのかを確定することはできない。
当時の国際交流を考える上で重要な資料である。